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与作ダンス

2023年11月01日

 先日、ちょっと昔話をしていて妙なことを思い出しました。私が中学校2年生の時の文化祭で与作ダンサーに選ばれ、全校生徒の前で与作ダンスというのを体育館の舞台で踊ったときのことです。
 私の通った中学校というのは東京都の世田谷区立で、ほとんどの生徒は学区内にある四つの区立小学校から進学してきていましたが、私は故あって、その学区外の小学校からの進学だったので、入学当初は知り合いが一人もいませんでした。学校内には出身小学校別の派閥が明確にあり、派閥同士対立しているわけではないものの、友達関係、特に最初はその派閥内に閉じたものでした。当然、どこの派閥にも無所属で一匹狼の私がそうした中で身を立てていくにはキャラを立てていくしかないわけですが、その立て方も実は結構難しい。私は自分でいうのもなんですが勉強は圧倒的にできたし、運動もまあ、総じて上位の方でした。それだけで目立つことはできると言えばできるのですが、この目立ち方はかなり危うい。特に勉強については、どこからか放浪してきた一匹狼にトップを持っていかれるということは、各派閥それぞれにとって決して面白くはないわけです。どうしても拒絶反応が強く出る。優等生を気取っていたら何をされるかわかったものではありません。受け入れてもらうためにはワルにならなければいけない。だから積極的に不良グループとも付き合ったし、率先して校則破りも行いました。まあ、とはいっても授業の始まりの時間は守らないで休み時間を長く取る、侵入禁止エリアにブレイクイン、校庭でバレーボールを蹴飛ばすなど、大したことはしていないのですが。そうした地道な努力が功を奏して、次第に私は周囲から「面白い人」として受け入れられるようにはなっていきましたが、その立ち位置は、四つの派閥の外にいる異星人という極めて危なっかしいものでした。

 そんな中、1年を凌ぎ切り、2年生になるとクラス替え。それまでなんとか開拓してきた友達関係はすべてチャラとなり、また四つの派閥の中の一匹狼に逆戻りとなりました。しかも、そのクラスにはこれでもかというほど個性の強いメンバーが揃っていた。圧倒的な運動能力を誇り世田谷区ではちょっと有名なN。バスケット部での華麗なプレーと甘いマスクで女子に人気のT。流行の先端を走り小学校のときからカリスマ性を放ってリーダーシップに長けたK。それぞれが、クラス横断的に派閥の長といえるメンツでした。ただ、1年生の時と違うのは、その頃には勉強が圧倒的にできるよそ者としてそれなりに名前が通っており、新学期の当初から結構タイトなマークをつけられていたということです。そのような状況下、私の戦術としては更に「ワル」を加速するという一貫性のあるものでした。
 ただ、2年生になるともう一つ対処しなければならない対象が増えました。それは、担任の先生です。A先生は大学を卒業したてで理科担当の女教師でした。それまで先生という存在は、勉強が圧倒的にできる私が少しくらいワルでも、全く気にはかけませんでした。しかし、A先生は違った。私に「勉強だけはできるが全く人間性がなっていない人格欠落者」と烙印を押し、親にまで改善を促してきました。なんでも、「クラスのA君は兄弟の面倒をよく見る優しい子で、U君は漫画を描くのが好きな思慮深い子だが、それに比べて奥野君は、人格が欠落しておりこのままでは将来が心配」とのことでした。
 私としては、そんなことを言われても兄弟もいないし、漫画も書けないし、どうしようもありません。そもそも、人格とかいう言葉の意味が分かりません。「いい人」ってなんだ。多分「どうでもいい人の省略形だろう」くらいに考え、あまり真剣に受け取らない。それがまた、A先生のお気には召さない様子。A先生は「ただ暗記の勉強は意味がない。ちゃんと、内容を本当に理解した上で考える力をつけないとだめ。」との高邁な思想の下、理科の定期テストをすべて記述式の「考える問題」にしました。その結果、平均点が10点台になってしまいPTAに問題視される憂き目を見ることとなったのですが、そんな中私だけが一人まともな点数を出し、それがまた面白くない様子。風当たりはより強くなりました。

 2学期のある日、相変わらず休み時間の自主延長後ホームルームをほぼ終えたクラスに入ると、何やら私に皆の視線が飛んできました。どうも、来たる文化祭でのクラスの出し物が松山千春の「季節の中に」と北島三郎の「与作」に決まったとのこと。ただ、その与作ではレコードの付録についている「与作ダンス」を4人の選抜ダンサーで踊るとのことで、そのダンサーの一人に私が選ばれたというのです。完全な欠席裁判であり、些かその筋からの陰謀も感じましたが、まあ、その場に居なかったのも良くなかったし断りようもありません。仕方なくやることにしました。
 練習は毎日放課後にかなりの時間行われ、なぜこの馬鹿げたダンスをやっているのか分からないという疑問がありながらも、一応主役ではあるので面白くもありました。本番では全校生徒から「やんや」の大喝采で、すっかり私の顔も全国区になってしまい、目指すところと全く違う方向性でのキャラの立ち方に少々戸惑いも覚えたものです。A先生はというと、通信簿に「与作ダンスで奥野君の新しい一面を見ることができ、成長を感じました」と書いてきた。「え、人格って、与作ダンスなの?」そのコメントの意味するところは意味不明でしたが、大人って正直「馬鹿だな」と思ってしまいました。

 その後、私は獲得した知名度もあってか、またまたクラスの欠席裁判で生徒会の副会長に立候補させられることとなりました。生徒会など全く興味はなかったのですが、出る以上負けたくはなかったし、負ける気もしませんでした。なぜなら、私の応援団には、全校のスーパースターであるNとTがついていたからです。この大物二人を応援演説者として引き連れて朝礼選挙演説を行い、登校時にビラ配りをしました。二人が言うには「奥野君が当選すれば、この学校は素晴らしいところになる」のだそうです。私は、全くそんなこと信じていませんでした。
 対抗候補は、隣のクラスのO君。フィンガーファイブのアキラのような髪型でトンボ眼鏡をかけていた。アーティスティックな感じでしたが、まあ、押しが利くようには見えなかったですし、勝てると思っていました。
 それが投票日、自分には黒板の「正」の字が全くつきません。一方、O君の方は、あっという間に二行目に突入です。惨敗でした。特に欲しいポジションでも何でもありませんでしたが、敗北という現実に無類の悔しさを感じたものです。

 その後しばらくして、O副会長とひょっこり塾帰りの小田急線で一緒になりました。二人でシートに座って話をしていると、我々の前に年配の女性が立ちました。私は、車両内のシートの空き状況のチェックのため目線を横に向けたその時、O君は間髪入れず「あっ、おばあちゃん、どうぞ。」と言ってスクッと立ち上がったのです。つられて私も立ち上がりました。そして、その時はっきりと悟ったのです。自分がO君に負けた理由を。「人格」。それ以来、私は今でもこの言葉に悩まされ続けています。


代表取締役 CEO 奥野 政樹

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