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ジュリアン研修~ポジションが上がるほど負け方が壮絶になるのはなぜか? 

2025年07月01日

 当社で「ジュリアン研修」というものをやっています。ジュリアンというのは、コロナ騒動の真っ只中、ヨーロッパから日本まで自転車で走破するという冒険を決行したクレイジーな男です。そのうちロシアとウクライナの戦争が始まり、その戦闘の最先端を自転車で越えて、ウクライナからロシアへ入る直前でウクライナ兵に確保されたというような過激な逸話に事欠きません。そのジュリアンと私のコンビを、以下のテーマでディスカッションして打ち負かしてみよ、という研修です。



 各テーマ、一般的には常識とされる傾向が強いもので、研修ではジュリアンと私がこの常識的な立場を取るので、受講者はこれを論破しなければいけない。言語は、日本語・英語、いずれも可です。つまり常識に挑むという研修ですね。

 中には「なぜ、自分が思ってもいないことを主張しなければいけないのですか?」と当惑を示す者もいます。ただ、私のように法学部を出ているようなものにとってはこれは学生の頃からやっている、極めてありがちな研修であります。ロイヤーというのは、自分の考えを述べるなどと言うことは、学者でもない限り許されないわけですね。やらなければいけないことは、クライアントや、あるいは勤務する会社の利益になるように、時には白いものも黒いと言い含める理屈を語ることなわけです。だから、こういうトレーニングをよく行います。しかし、これはロイヤーだけに必要なことでしょうか。どうも最近、世の中「私の信条」だの、酷いのになると「私の気持ち」だのを振りかざして、自らの平穏と満足だけを貪り、他のことにはまるで無頓着という傾向も見受けられます。当社では、そういうのを「お気持ち主義」とし、固く戒めています。本研修は、アンチお気持ち主義のための研修とも言えるでしょう。

 ところで、この研修で受講者が勝利を収めることは極めて稀です。どれも一般的には肯定されていることですから、それを否定するロジックを考えるのは、慣れていないものには相当に難しいようです。ましてや、上級レベルの命題には長く科学的真実とされているものも含まれており、これを否定するとなると、これはもう、とんでもなく突飛な発想が求められるわけです。

 だから、みんな負けます。ただ面白いのは、会社の中でもポジションが高いほど、その負け方が壮絶になってくるという傾向があることでしょう。

 これまで、最も勝利に近づいた受講生の一人に、派遣で総務や経理のアシスタントをしている社員がいます。彼女が選んだテーマは、「英語を学べば世界観が広がる」でした。まず、しっかりと事前準備をしてきていて、以下のスピーチを冒頭5分で一方的に行った。

 「間違いではないが、必ずしも正しくない、と思う 。正しくは、【英語など他言語を学べば世界観が広がるかもしれない】では?英語を母国語にする人(ネイティブ)は世界で3.8億人いるが、この3.8億人の皆さんの世界観は、他の言語を話す人に比べてより広い世界観をお持ちだろうか?失礼ながら、例えばアメリカのバーモント州やワイオミング州の片田舎に長年暮らし海外に出掛けたこともない人は、他の国で同様な暮らしをしている人よりも広い世界観をお持ちだろうか?そんなことはないよね。英語を学んだ上で、色々な言語から英語に翻訳された情報も含めて読んだり、聞いたり、対話したりすることで、初めて世界観が広がる可能性がある。つまり、英語を勉強するだけでは手段(ツール)を得たに過ぎず、英語を通して他国の人との対話の機会や知識を増やしたり、深化させたり、感性を磨いて、教養に昇華させることで世界観が拡大するのではないか。そうであるならば、必ずしも英語に限らなくても良いことになる。中国語のネイティブは14.8億人。スペイン語は5.2億人、アラビア語4.5億人、フランス語4.3億人、ヒンディー語(インド)4.2億人、インドネシア語3億人。これらの言語を学んで、深く探求してもやはり世界観は広がるだろう。例えばアラビア語は中東地域から北アフリカの27カ国で公用語である。27カ国の人達と対話ができるだけでも世界観が広がりそうだと思いませんか?また、国連の公用語は、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語、中国語、アラビア語の6カ国語である。これら言語のどれを学んでもその後の学びさえあれば、世界観が広がらない訳がないと思います。 加えて私見を一言申し上げたいと思います。

 英語含め他言語を学ぶことはとても有意義なことと思います。他国の歴史や思想や文化や知識をリアルに交換し合えるのはとても刺激的ですね。でも振り返って、自分に知識や教養の引き出しが少ないとただのお喋りか、言われっぱなし言いっぱなしの底が浅いコミュニケーションしかできないでしょう。それではせっかく英語(他言語)を学んでも勿体ないですね。そういう意味で、他言語を学ぶとともに(それに先駆けてかもしれませんが)私は日本語や日本史、日本文化を改めて学び直すことがとても大切だと思います。 」

 論理がかなり交錯していて、英語と他の言語の比較などが本旨と関係あるのかは疑問の余地があり、突っ込みどころは多く、そこを突かれると反論できなくなってしまうので、負けは負けなのだが「英語は手段に過ぎない、世界観を広げるためにはそれ以外の教養やオープンマインドネス、受容性の高さといった性格の問題の方が遥かに大事である」というコアな部分はしっかり掴んでいる。「そのあたりに論旨を絞って、更に自分の身の回りで英語だけはペラペラ喋るが極めて世界が狭く、自分の世界に閉じこもっている人はいませんか?それを事例として挙げれば一気に説得力が出ます」と総評したら、目から鱗のようでした。とても素直で研修効果が高い。

 これが受講者のポジションが上がってくると、どうにも難しくなってきます。負けるのが嫌なのか、正面から闘いを挑んで来なくなります。相手の言うことは聞かずに、意味不明な自分の思いを語って話題をすり替えようとしたり、相手の言葉遣いの微細な揺らぎの揚げ足取りに専念してしまうようになります。

 例えば、「ナンバーワンにはならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン 」というテーマに対して、「Only OneみてえなUniquenessは特別じゃねえから、命題として意味をなさない」とくる。さっぱりわからない。その後、なぜかにダーウィンの進化論の話になり「要は、ナンバーワンじゃないと進化論で死んじゃうから、ナンバーワンじゃなきゃいけないと言いたいのか?」と聞くと、「進化論はそんなことを言っていない」とくる。そう、確かに進化論は環境に適応しないものは生き残らないと言っていたと思うので、ナンバーワンかどうかとは無関係だと思うが、そもそも、このテーマはそこがポイントではない。更に「科学を知らないものと話しても仕方がない」とマウントを取ってこようとするが、そもそもこれは科学の議論ではないのです。

 このテーマは反論するのは比較的簡単です。だから初級にランクされている。まず、「みんな特別なオンリーワン」の部分。「ゲノム配列的には、チンパンジーと人間はほとんど変わらず、ましてや、人間同士なんて殆ど同じ。そして、そのほとんど同じだからこそ、共同生活もコミュニケーションも成り立つ。大事なのは同一性であり、唯一性ではない。オンリーワンなどというのはただの異常者なのだ。」これが、一般的な反論です。受講者に「そう考えるのか?」と問うと、「いや、少しの違いでもその違いは大事であり、やはりオンリーワン」だとのこと。では、次に「もともと」のところです。考えられる反論としては「人間の個性というのはほとんどが後天的にできるもので、先天的なものは少ない。したがって、オンリーワンだとしても、それはもともとではない」というもの。そう考えるのかと聞いたら、「いや、先天的にでも少しは違うのだからもともとだ」という。では、残るは「ナンバーワンにはならなくてもいい」部分ですが、これを否定するのなら王貞治の「あなたは日本で2番目に高い山の名前を知っていますか?」の名言を引用するあたりが定石です。しかし、これも受講者は「競争にこだわるのはくだらない」という。「じゃ、命題を肯定しちゃったじゃん」というと、「そうだ」なのだそうです。これはもう壮絶な負けとしかいいようがありません。

 やはり人間、私達のような小さい会社でさえ、ポジションが上がるとその責任という奴が、その人を保守的にし臆病にさせてしまうのかもしれません。責任、つまり自分のことだけは考えていられないということです。それをあまりに真面目に受け止めすぎると、柔軟さや、受容性、挑戦心が失われてしまう。冒頭、この研修の目的は「自分のためのお気持ち主義の排斥」と書きましたが。逆に「他人に対する責任からの解放」という意味も持っているのかもしれません。


代表取締役 CEO 奥野 政樹

 

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