- CEOニュースレター
- CEO News Letter
会社は誰のものか?
2025年08月01日
NHKスペシャルでこの話題を取り上げているのを見ました。そういえば、昨年亡くなった私の大学のゼミの先生は会社法の専門家でしたが、「会社は株主のものだ、などというのは全くのナンセンスだ」と怒っていました。先生はフジテレビの監査役もしていましたが、NHKはそのフジテレビ株主総会における、物言う株主と会社側のバトルを冒頭で伝えていました。
番組には、90年頃から始まった、ミルトン・フリードマンのマネタリズムを思考的背景とした拝金主義的株主絶対主義を痛烈に批判する専門家が出演していました。「会社は、そこにお金を投資している株主のものだ、などというのは極めて一面的な見方であり、そもそも会社が八百屋の企業成りのような私的なものに留まっているのならいざ知らず、大きくなって法人としての人格を認められるような状態になったら、人間なのだからそれが誰のものか、などという議論は成り立ちえないのだ。」 これが、その主張です。
あまり論理的とは言えないので、ついついフリードマン的なわかりやすい論理性に押されてしまうのかも知れませんが、議論が成り立たないのかはともかくとして、たしかに、その「会社は株主のもの」という考え方からは良い企業は生まれないだろうなということは、感覚的に伝わってきます。
この考え方が何に似ているかというと、第一に思い浮かぶのは、「子供は、経済的にその生活を支えている親のものだ」という考え方です。たしかに子供にとっては自分が「誰のもの」とかいう所有の対象と考えられてはたまったものではありません。それでは子供は所有者の思い通りの人生を歩むことを運命づけられてしまいます。それでも幸せになれるのなら問題もないわけですが、なかなかそうはならないということは事象的に証明されているわけです。やはり、人間というのは自立して生きていく力を身につけなければ幸せにはなれないものなのです。自立して生きていくために必要なこと、それは、所有者による過管理、過干渉ではないわけです。必要なものは、周囲の様々な関係者、言わば、ステークホルダーによるサポートなのです。子供にとってのステークホルダーは決して親だけではありません。学校もあれば、友達もいる。このような存在はすべてステークホルダーであり、そういう存在のサポートを得ながら自分の希望をひとつずつ叶えていくことで子供は自立して生きていく技と力を身につけます。
大体が人間を所有の 対象と考える人間に碌な奴はいません。みんなバカです。親なら親バカ、株主なら株主バカ。バカは自分の利益のことしか考えませんから、株主バカに縛られてしまったら、会社という人間は生きていく力を身につけることはできません。崩壊してしまう。
と、ここまでは、私の先生の言うことも、NHKスペシャルの言うことも感覚的にはわかるわけですが、実は、株主バカというのは法律上かなりその出現は限定されています。つまり、会社法においてそもそも株主というのは、そんなに強い力は与えられていないのです。あるのは役員の選任と定款の変更権くらいですが、株式を上場しているような大きな会社となれば、いくら大手の物言う株主でも自分の思い通りにはなりません。実際フジテレビにおいても物言う株主の出した役員選任案は否決されてしまいました。
会社においては、むしろその他のステークホルダー、例えば債権者であり、顧客であり、あるいはメディア、こういった存在の方が、会社を縛り付ける力は株主よりもはるかに大きい。そして、その中でも最大のバカになりうる会社のステークホルダーは、実は従業員なのです。日本では会社は自分のものだと思っている従業員バカがまだまだ多い。そして、経営者はその親玉であるケースがむしろ一般的なのであり、だからこそフジテレビのような問題も起きがちなわけです。一方で、これがアメリカとなると、ベンチャーキャピタルバカが横行してしまっている。お金を出しているのだから何をしようが勝手でしょう、とばかりの傍若無人ぶりです。
これでは、どちらも会社は育ちません。会社のステークホルダーは会社を自らの所有物だなどと考えてはならず、会社の自立をサポートすべきなのです。しかし問題は、これが理屈の問題ではなく、倫理の問題であるということです。倫理などどうでもいい。自分さえよければそれでいいのだという価値観が蔓延れば、これはもうどうにもなりません。
代表取締役 CEO 奥野 政樹
- 最近の記事