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世界で一番美しい街パースにて遭難

2025年09月01日

夏休みを取ってオーストラリア西海岸最大の都市、パースを訪れました。「世界一美しい街」とも言われますが、さしたる根拠はないようです。とにかく、私の旅先での楽しみの一つはランニング。ランニング用のGPS時計を付けて5キロ程走ります。そうすると、地図上に走ったルートが記録され、それをランナーのSNSで確認できる。まあ、繋がっている人達にそれを見せたいというわけではないですが、どちらかといえば、自分でそれを眺めて、「へー、こんなところを走ったんだな」と旅の風情をちょっと別の角度から味わうのが好きです。

といっても、東南アジアのリゾート地だったりすると、まず暑いのと、治安が悪いとか、道が整備されていないなどの事情もあり、早朝にホテルの敷地内しか走れないことも多いです。それが、今回オーストラリアは冬。それも極寒ではなく比較的マイルドな寒さのようで、走るにはベストの気候です。しかも、なんといっても世界で一番美しい街です。日本で事前にしっかりとお勧めのランニングコースも検索して、スワン・リバーという街を象徴する川を周回する一周10キロの遊歩道が整備されていることも知りました。現地入りし、ホテルに着くとさっそくコンシェルジェで、そのようなランニングコースはあるのか質問すると間違いなくあるとのこと。「右回りでも左回りでも10キロさ。最高だよ。」との明快な回答を得ました。

翌日さっそく決行かと意気込みましたが、残念ながら天気が悪く、寒く雨が降っていたので、その日はホテルのジムで軽くトレーニングをしました。翌日は、近くのロードス島に珍獣クウォッカを見に行くことになっていたので、この日もランニングはなし。そして翌日、天気は快晴。気温も10度を超えており、風もない。ついに最高のランニング日和となりました。

ホテルを10時頃出発。いでたちは長袖のランニングシャツに膝の保護機能の高いランニングタイツを履き、その上に短パン。完璧です。まあ、10キロとホテル往復が2キロ弱くらいでしょうから、所要時間は1時間半くらいでしょう。持ち物はホテルのカードキーだけ。お金もスマホも持っていきませんでした。

まずは、ホテルから川のほとりまでは軽い下りでアップには最適です。程なくスワン川の遊歩道に到着しました。きれいにグリーンのアンツーカーで舗装され、アップダウンもまったくありません。右側に有名なキングスパーク、左側には川向うに広がるパースの街並みを眺望しながらの、これまででも一、二を争う絶景のランニングコースです。2キロ、3キロと進んでもさして呼吸が苦しくなりません。最近のランニング中では、かなり好調な部類に位置するでしょう。どんどん進んでいきます。5キロ通過。あと半分か。順調でした。

ちょっとおかしいなと思い出したのは、8キロを過ぎあたりからです。残り2キロのはずなのに、街に近づいている感が一向にない。そのうち遊歩道も途切れてしまった。川沿いとなると芝生やら、泥道やら、海岸を走ることになってしまいました。仕方なく、川沿いを離れ、少し膨らんで舗装された道路に出ると、いかにも高そうな家が立ち並ぶ高級住宅街に入りました。そのうち川沿いに戻るだろうと10キロを過ぎましたが、一向に高級住宅街を抜けられません。道を外れてあぜ道をつたい川のほとりに戻ると、対岸にはもはやパースの街は見えず、対岸に渡る橋もない広大な川の流れがどこまでも続いています。ここに及んで何か間違えているとの思いはかなり確信に近づきましたが、既に10キロ以上走っているので来た道を戻る気にはサラサラなれません。そもそも走るのはもう限界で、たとえ歩いて10キロの道のりを戻ったら2時間以上もかかってしまいます。どこかに近道があるはずだ。それを探すしかない。そう考えて、行き会う人たちに片っ端から声をかけ始めました。


まず最初に声をかけたのは、いかにも健康そうなサイクリングお兄さん。
「パースの街に帰りたいんだけどどっちかな?もう、来た道を戻りたくはないんだよね?」お兄さん少々理解に苦しむようでしたが、「街かあ。相当に遠いよ。街から走ってきたのか?すごいことするなあ。そこに学校が2つあったでしょ。その間の道を行くと街の方に出るんじゃないかな。」指示通りに進むと、川沿いには出ました。しかし、そこには道も何もありません。一人の御婆さんが読書をしていたので私はホテルのカードキーを見せて「ここに行きたいのですが」と聞くと、「あら、まあ。こんな所まで歩いていくのは不可能だわ。バスに乗らないと無理よ」とのこと。「お金もスマホも持ってないんです。」というと、相当に当惑したようで、とりあえず、さっきのお兄さんとは全く反対の方向を教えてくれました。

その後も次々に行き会う人々に話しかけ、情報を収集。どうやら、ブロードウェーなる通りに出れば無料のCATバスなるものがあるのではないか、というやや頼りない情報をGETし、それに賭けるしかないと心に決めました。
しかし、いくら歩けどもブロードウェーにはたどり着きません。そのうちさっきのお兄さんが戻ってきて「まだ迷ってるのかい?」と声をかけてくれました。「そう。ブロードウェーに行くことにしたんだ。こっちで合ってるかい?」ときくと「合ってるよ。まあ、天気が良くてよかったよ。Good Luck!」と快活に去っていきました。

その後も歩けども歩けどもブロードウェーにはたどり着きません。分かれ道も結構あって、そのたびに誰かに道を聞くのですが、かなりの確率で自分の感性とは反対の方向を示されます。「もし一つでも間違えたら、一体どうなるのだろう?」だんだんと恐怖が増してきて、なんとなくこれ以上記録するのが嫌になり、GPS時計を止めました。このあたりから、強烈な喉の渇きを覚え始めましたが、お金を持っていないのでどうにもなりません。そもそもお店も自販機も全く見当たらないのですが。更に、徐々に身体に力が入らなくなっていきます。足を前に出そうとしても動きません。

「あー、これがよくマラソン中継で解説者が言っているスタミナ切れというやつか。」学びはよいのですが、更に悪いことに脱水症状で全身が痙攣しています。少し休もうと止まると、足がつってしまうので休むこともできません。そのような状況下でホテルに帰れる目算は全く立たないわけで、「死ぬかもしれない」という思いが生まれて初めて巻き起こってきました。いや、「日本の会社社長、オーストラリアのパースで遭難、死亡」こんな記事はありえないのだから、死なない。死ぬわけはない。必ずホテルにたどり着いてみせる。その気持ちだけを必死で奮い起こし私は歩き続けました。 不幸中の幸いと言えば、自転車のお兄さんが言っていた通りその日は季節外れに暖かったこと。これが、一昨日のような寒さであったら、間違いなくとっくに倒れているのではないか。最後に残ったそのツキだけを信じて、もう上に上がらない足を前に摺りだし続けます。

そして、ブロードウェーは確かにありました。更に驚いたことには、緑のCATバスは確かに走っていたのです。「乗るか。いや、万が一にもこれが街には行かないということになったら今度こそ、死ぬ。ここは慎重を期さねばならない。」停留所にいた初老の女性に「グリーンキャットはパースの街に行きますか?」と聞くとなんと答えは「ノー」です。「え、じや、どこへ行くんですか?」食い下がる私に、女性はぶっきらぼうに「エリザベス・クェー」とこたえました。「どこですか、それ?」という私の追加質問に彼女はもう答えてくれません。どうする、乗るかこのバス?駄目でした。こういう時に根拠もなく安易なソリューションにすがりつけば、はまる。この歳になればそれくらい分かります。私は再び歩き出しました。翌日知ったのですが、エリザベスクウェーとはまさしくパースの街にある赤、黒、黄、緑のチャットバスのハブであり、ここでこのバスに乗っていれば、少しは楽をできたようですが。まあ、勝負とはそういうもの。やはりここは確実に生き残る選択をした私の判断は間違えていなかったと思います。

程なく、スワン川沿いに戻ってきました。もう、道は確実に分かりますが、まだホテルまで5キロはありそうです。よし、これを1時間で歩く。動かない身体に最期の鞭をいれます。遂に街に帰ってきて、ホテルまでの坂道を行きとは反対に登る。今まで経験したどんな坂よりもきつく感じる一方で、ほぼ生還したという安堵感もこみ上げてきます。

夕方5時30分、ホテルに到着すると浴びるように水を飲みました。これで生き返ると思いきや。今度は、歯がガチガチと言って止まらないほどの寒気に襲われました。まだ、助からないのかと思いましたが、もしやエネルギーが切れているのではないかと思い、ホテルに備えてあったビスケットを食べると、さっと寒さが引いていきました。人間の身体ってこういうふうにできているんですね。

ランニングSNSを見ると「初ハーフマラソンおめでとう」などとAIの暢気なコメントが出ています。途中でGPS時計を止めているので、実際の総行程はフルマラソン近くあったのかもしれません。地図上に示されている軌跡を見る限り、そんなに迷っているようには見えません。まあ、道としては比較的単純だったのかもしれませんが、とにかく、合っているのか分からない不安の中での長時間は恐怖でした。どこで間違えたのか、最後まで確認はできませんでしたが、どうも2キロ付近で川を渡って対岸に向かう橋に通じるトンネルが右側にあったようで、そこを行くのが正しかったのではないかと思いますが、それを旅行者に分かれというのはあまりにも酷ではないでしょうか。

後日譚になりますが、当社の社員が、私の旅行の2週間ほど前に、私がオーストラリアで行方不明になる夢をみたのだそうです。その社員は、私が旅行から帰ると程なく当社を卒業していきましたが、彼女が遭難することなく元気で新天地で活躍していることを願いましょう。


代表取締役 CEO 奥野 政樹

 

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