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日本語教室
2019年04月01日
当社において、日本語を母国語としない社員数が全体の3割を超えてきました。英語だけでなく社員の日本語力アップも、会社として何かサポートしないといけないとは以前から思っていたのですが、ある日米国人の社員が「自分の日本語はだいたい小学校5年生レベルとよく言われる」というのを聞いて、ふと思いつきました。それなら、小学校5年生向けの読解問題集を使って日本語の研修をしてみたらどうだろう。
早速ネットで一冊購入してみました。全部で100あまりの読解問題が載っています。これを基本的に一日1問ずつやることにしました。やり方はこうです。まず毎日16時になったら、その時に空いているNon-native Japanese Speakerがお互い声をかけ合って、その日の生徒を集めます。それから、適当に誰か空いているNative Japanese Speakerに声をかけて先生役を依頼。初めにみんなで課題文を音読して、その後順次読解問題を解いていきます。これで大体30分くらい。まあ、他の業務の支障にならず、集中力が持続できる適当な長さでしょう。
1回目の題材は「ごんぎつね」でした。そう言えばそんな話あったよなあ、と懐かしい思いがこみ上げてきましたが、改めて読んでみると、一つ気が付いたことがあります。ここに出てくる日本語、あまりビジネスと関係ないな(小5向けだから当然)。しかしそれでもいいのです。ビジネス用の日本語なら、どのみち日常的に業務で触れることになります。わざわざ時間を取って教えるべきはビジネス的な言い回しや単語ではなく、日本語が本来持っているリズムとか配列であろうと思うわけです。こういう感覚を身につけないと、上辺だけビジネス日本語を使えても深いコミュニケーションはできるようにならない。日本の小学生も、かく言う私も、こういう教育を受けて日本語ができるようになってきたわけですから、これでいい筈です。もう問題集買っちゃったので、そう信じて続けています。
それにこの教室の中では、ひとつの読解問題を媒介にして先生と生徒が同じ土俵でみっちり30分間、闊達な会話を行うことになります。これこそが、実は日本語上達にとても役立つのではないかと思うわけです。丁度いいレベルの共通の題材がないと、このような集中的会話というのはなかなか成立しません。先生も生徒も適宜入れ替わるので、いろんな人と接触できてチーム・ビルディング上もよろしい。何はともあれみんな総じて楽しそうで、今のところこの日本語教室は続いています。
さて、小学5年生の読解問題ですが、私は自分で言うのも恐縮ながら勉強はかなりできたので、自分が現役の時は学校でやっているくらいの問題であれば殆ど間違えたことはありませんでした。なのでかなりナメてかかっていたのです。ところがやってみるとこれが結構難しい。いや、難しいというよりも納得がいかない問題が多いのです。私が間違えるたびに「この問題はおかしい」と悔しがるのを見て、生徒たちは演技だと思っている節もあり面白がっていますが、実は私としては本当に納得がいかないのです。
例えば、宮沢賢治の「祭の晩」という小説が題材の問題があります。抜粋なので話の全体は見えません。問題文から状況としてわかるのは、亮二という少年(たぶん)が、「山男」と呼ばれる男から知らぬ間に置いていくという形で薪と栗をもらったこと。亮二は「山男」の正直さがなんだかかわいそうになり、何かお返しをしなければとあれこれ爺さんと相談しているということです。これだけの状況から、「亮二はどのような人ですか?15字以内で書きなさい。」という設問です。
正直、私は戸惑いました。私は仕事上、常日頃とても注意深く人を見ます。その人の色々なところを見て、その人の人柄を判断し、個々に合った対応をしていかなければならない。そうです。人柄を判断するには、まずその人を多面的に見る必要があるのです。それを、たったこれだけの断片的な情報で亮二がどのような人物か判断しろと言う。無理な話です。
それでも、「無理です」では回答にならないので何とか考える必要があります。そうすると、この断片的な情報の中からでも亮二の人柄の一面を表している事実、つまり人からもらったものをもらいっぱなしにすることを良しとせずお返しをしようとする態度から、亮二の人柄を判断するしかありません。そういう人の人柄として最もありそうなのは何か。私の回答は、「他人と対等以上の関係を志向する」(15字)です。
ところが正解はなんと「心優しく思いやりがある」でした。理由は「山男が正直すぎてかわいそうになり、お返しをしようとしたから。」え、どういうこと?何故それが優しさや思いやりの証明になるのか、たったそれだけのことで!私も小学5年の時なら、もしかしたらそう答えたのかもしれません。文中にそう書いてあるからという理由だけで。しかし、私が社会に出て一番学んできたこと、それは人の言うことや書いていることを真に受けてはいけないということです。これは別にひねくれたことを言っているわけではありません。言葉で表出されていること、つまり言葉尻だけをとらえてもまったく真実には近づけない。真実に近づくためには、表に出ていないことも含めてもっと色々なことを総合的に考慮しないといけないのです。ましてや他人の人格を決めつけるとなれば、そこには相当な慎重さが求められます。
恐ろしいことに、私以外先生も生徒も全員がこの問題を正解していました。そして一人不正解の私に対して勝手な深読みをするなとか、書かれていないストーリーを作るなという批判をしてきます。しかし、言語的には小学校5年生の教材を使っていてもみんな立派な大人です。文中に表向き書かれている言葉だけをとらえて「正解だ!」と喜んでいるだけでは、極めて物足りない。求められていることは、小学校5年生の正解を出すことではなく大人としての各自オリジナルの洞察なのです。これでいいのかINAP Japan!道はまだ遠い。